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自分の映画 アニメ 特撮などへの考え方を明確にするためのブログです。

僕の好きな劇場用長編アニメーションについて。 アニメ映画は、「イノセントの消失」によって繋がっていく。

今回は、リクエストがあったので、劇場用長編アニメーションをテーマに、僕の好きな作品を語りたいと思います。大きく分けて2つ 日本と海外のアニメ映画に分けて話を進めていきます。そしてそれらの作品に潜む共通のテーマ「イノセントの消失」についても論じていきますそれでは、本編をどうぞ。

 

注意 今回紹介する作品のネタバレが含まれている場合がありますので、回覧は自己責任でお願いします

 

日本製長編アニメーション 宮崎駿という作家

日本製長編アニメーションを語るうえで、やはり宮崎駿は外せません。「風の谷のナウシカ」より始まったスタジオジブリ作品の歴史は、今や全世界的なカルチャーになっています。彼の作品には、やはり明確な作家性が存在します。何かと言えば「イノセントを持つ子供が、世界の暗部を知り、大人になる話」であるといえると思います。つまり、毎回「不思議の国のアリス」をやっているともいえます。アリスこそ、「イノセントの消失」つまり、子供から大人になり、純粋さを失い、汚れた世界に向き合っていく物語の典型例です。それに加えて、汚い世界の肯定を行うのが宮崎駿です。ナウシカの原作版(腐海を巡る価値観)を見ればよくわかりますし、魔女と宅急便における「魔法」の在り方(風邪をひくことで魔法が使えない=少女が初潮を迎え、女になることの象徴。黒猫のジジとはもう話せなくなってしまう。最も不思議のアリスに近い。)千と千尋における銭湯(湯屋 ソープランド及び性風俗産業)などに見られる汚れた世界の真実。その中で子供が成長していく物語として、宮崎駿作品は非常に論じがいがある作品群であると思います。では、これ以降のアニメ作家は何を生み出してきたのか。

細田守と言うアンビバレント

最初に言っておくと、僕は細田守作品が好きではありません。確かに、ことアニメ的快感。つまり、「何気ない日常の所作をアニメで再現する」という快感の面ではかなり質が高いと思います。ですが、はっきりと問題点が多い作品も目立ちます。特に「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」の3作については、特にその傾向が顕著であると思います。サマーウォーズは、キャラクターの層の浅さ、プロットが過去作のデジモンアドベンチャー 僕らのウォーゲームの流用である点。おおかみこどもは、2人の子供の生き方の対比が、結局人間側の登場人物に物語上の力点が集中しているために意味をなさない点。バケモノの子は、後半の展開の観念性の高さから生じる寓意性が、最後の最後の着地で台無しになり、イノセントの消失と言うテーマがもろくも崩れ去ってしまった点が、大まかな問題点だと思っています。彼が、ポスト宮崎駿と言われているのは、ある種「国民的」であり、お行儀のよいアニメーションを作れる作り手としての面を指しているのでしょうが、前述したように、宮崎駿は決して国民的なアニメーションとは言えないようなテーマを扱っています。つまり、細田守宮崎駿性は作画のキャッチーさ以外ないのではないでしょうか細田守がポスト宮崎駿として挙げられるのにはいささか不満ですが、最新作の「未来のミライ」もどんな作品なのか、気になる面はあります。彼がいつか化ける日が来るのか、神妙に待ちたいと思います。

世界の片隅で、生を肯定した人間賛歌この世界の片隅に

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この作品は、日本アニメ史に残る、それどころか、日本映画史に残るレベルでの大傑作であることはみなさんもご存じでしょう。僕のオールタイムベストのうちの一本でもあります。改めてこの作品を説明するならば、原作の絵のタッチを完璧に再現した温かみのある作画や、徹底的にリサーチを重ね、歩いている通行人一人ひとりが実在する時代考証の正確さ。それによって、初めて70年前の生活がリアルに感じることが出来ました。そして、時代に翻弄された一人の女性、すずが抱いていたかすかな幻想が戦争によって踏みにじられ、無垢な少女が否応なく過酷な現実を直視せざるを得なくなる。これぞ、「イノセントの消失」です。彼女が右手と晴美を失うという展開もこれに該当します。この展開の後、急に画面がゆがんだような作画になりますが、彼女の内面から見た世界のゆらぎを象徴したシーンです。原作だと本当に左手で書いているというのですから凄いものです。そして、この物語は最終的に、現実を生きることを肯定してくれます。自らの手で描く絵と言う幻想でしか現実に対抗できなかったすずは、右手を失ったことによって、体で現実に向き合い、周作と喧嘩をしたり、世界に対して声を上げて慟哭するようになります。そして、彼女は多大なる代償を乗り越えて、この世界の片隅で周りの人たちの「笑顔の入れ物」になることを選びます。それこそが、70年後の世界を生きる我々の心に確かに響く、「生の肯定」なのです。 さて、次は海外の長編アニメーションについて論じていきます。

ディズニー・ピクサーの3DCGアニメーション 在りのままの世界を描き出す作品たち

ディズニーといえば、これまた全世界的な映画会社です。主力のアニメーションにくわえ、スターウォーズなどと言ったドル箱シリーズをサブウェポンとして所持しているとてつもない会社です。さて、ディズニーと言えばアニメーションですが、その中でもプリンセスストーリーが伝統のシリーズです。ですが、今日的な価値観で往年のディズニー作品を観返すと、いささか不自然に感じられてしまう部分もあります。それらの点を、ここ最近のディズニープリンセス物は解消しようと努めてきました。その中でも僕が最も好きなのは「塔の上のラプンツェル」です。前作「プリンセスと魔法のキス」から始まった「異性愛の成就が物語の結末ではない」「ポリティカリーコレクトに配慮したキャラクター描写」と言った要素が次作の『アナと雪の女王』よりも優れていると感じました。最近は、それ以外の3Dアニメーション部門が好調です。「シュガーラッシュ」に始まり「ベイマックス」「ズートピア」と言った傑作を連発しています。

そしてピクサーですが、「イノセントの消失」というテーマに近い作品を作っているのはこっちのほうだったりします。ピクサー作品の特徴として、作り手の等身大で作品を作っているところが挙げられます。「トイストーリー」ならば、子供を喜ばせる職人仕事としておもちゃを描きましたし、「モンスターズインク」は子供が出来てあたふたする父親の話です。その中でも、「イノセントの消失」に最も近いのは「インサイドヘット」でしょう。12歳の心のバランスが崩れた少女の頭の中を映像化するという内容ですが、これも監督の実体験が元になっています。そして、この映画に出てくる登場人物の中でも、やはりビンボンというキャラクターが辿る結末には号泣してしまいました。彼は、全ての一人っ子、空想家に送るレクイエム。非常に普遍的な感動をもたらしてくれます。

さて、ここまでは大手のスタジオの作品をご紹介していましたが、マイナーめなスタジオの作品をご紹介します

物語を物語る意義 「KUBO クボ 二本の弦の秘密」

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僕の2017年ベスト1の作品です。この作品は、ストップモーションアニメーションで作られています。3秒を作るのに1週間はかかったといわれています。ですが、それに見合うだけの圧倒的なアニメーションの迫力と「生きている」キャラクターに溢れています。クボ然り、サルの母性と厳しさを併せ持ったキャラクター。クワガタの抜けているものの、決めるときはビシッと決めるかっこよさのバランスが、とてもすてきだと思いました。敵方である月の帝や闇の姉妹の愛憎入り混じる屈折した感情表現も素晴らしかったですし、なによりも、「人はなぜ物語を必要とするのか」というメインテーマが行き着く着地としてはあまりにも見事な落ちのつけ方。そしてラストの圧倒的にエモいシークエンスの美しさ。徹底的にリサーチされた日本描写が、ここにつながっています。ここまで感受性を刺激された作品もそうそうないです。非常に素晴らしい傑作。ぜひ皆さん観てください。

あとがき

ここまで書いてきて、自分でも今まで挙げてきた作品のほぼすべてに「イノセントの消失」が作品の要素として含まれていることに驚いています。やはり、元来子供向けとされてきたアニメと言うメディアの反動として、幼年期の終りと言う物語構造が志向されるのではないのでしょうか。そのような作家性をも包括するテーマが存在するのは興味深いことです。以上で、この駄話を終えたいと思います。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。