This Not a Blog

自分の映画 アニメ 特撮などへの考え方を明確にするためのブログです。

僕の「ヒーロー論」的な何かを綴ってみる。

今回は、以前書いたこの記事に近い立ち位置の記事です。

slyuroder.hatenablog.com

所謂、特撮、アメコミなどにおけるヒーロー的なるものについての個人的な思想表明として、今回の記事は書きたいと思います。それでは本文をどうぞ。

 

注意 今回の記事は、筆者個人の好みが色濃く出た記事になります。読んでいて違和感が生じることがあるかと思いますが、ご了承ください。

また、今回の記事では、本来特撮といったヒーロー物は「子供向け」などと言った類の論調は完全に扱いません。何故ならば、この記事を書いている人間は子供の視点ではヒーロー物を観れませんし、こういったジャンルはもはや子供のものだけではないと思っています。この記事も子供は見ないことを前提に書きます。

 

 

 

1 ヒーローとは、「異質」であり「孤独」であるべきか?

まず、僕の好きなタイプのヒーロー的なる存在の1つのパターンとして、類型的な言い方をすれば、「孤独を背負った人間」もっと極端な言い方をすれば「世間から見れば決定的に異質な存在」というバックボーンを抱えたような人物が好きなのです。つまり、仮に何らかの超能力を発揮できるような超人が現れたとして、その存在は、普通の人間から見たら、神か悪魔かは紙一重でしょう。仮面ライダーと言う存在を突き詰めてしまえば、飛蝗の怪人でしかないのです。バットマンも、客観的に見てしまえば、蝙蝠のコスプレをした精神異常者です。そしてその存在は決して代替不可であり、同じような境遇を抱えた人物は、むしろ戦うべき敵にこそ存在する。石ノ森章太郎イズムこそが、僕の理想のうちの1つだといえるでしょう。このパターンが好きなもう一つの理由として、ヒーローの心理描写が必然的に多くなるから という点もあります。すなわち、葛藤を普通のドラマに比べ描きやすいということです。自らと同じような存在を裏切り、人間側について戦うものの、その人間からも決して好意的には見られていないという苦悩とジレンマ。このようなドラマこそが、このパターンの魅力だといえるでしょう。では、次は僕が個人的に思っていたことについて書いていきます

 

2 ヒーローは「模範的」であるべきか

所謂「真面目」「人格者」「非の打ちどころの無いような好青年」的なキャラクターは、特に特撮には顕著なキャラクター設定と言えます。これは僕の好みですが、そういったキャラクターに僕はあまり魅力を感じません。何故ならば、そういったキャラクターたちは、その主人公が持つヒロイズム性を強調するためにそのような性格付けをされている。つまり、作り手側がドラマを描きやすいからそうしているだけに過ぎないのです。僕は、「ヒーローその物のかっこよさ」よりも「ヒーロー物という土台、設定を使って如何に様々なことを表現できるか」と言う方面のほうに関心があるので、こういったことを思うのはある種当然と言えます。僕が言いたいことを的確に表した言葉を映画秘宝 2017年10月号に掲載されているポールヴァ―ホーヴェン監督インタビューより引用します。

 

簡単に理解できるキャラがすぐに予想のつく行動を取る映画を観るということは、何も考えずに済むということだ。お手軽な「理解」や「共感」は思考停止に結びつく。その結果、物語の文脈を考えることもなくなってしまうし、キャラの行動原理を深く追うこともしなくなってしまう。私は自分の映画を観る観客に作品をもっと深く味わってほしいと思っている。登場人物に「共感」できないということは、その作品が面白いということと関係がない。

 

 

 

 結局の所、道徳の教科書のような主人公を見たところで、僕は何も感じないのです。ここで僕が好きなヒーロー的なる存在の具体例を出しておきましょう。「ウォッチメン」の「ロールシャッハ」です。

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https://www30.atwiki.jp/niconicomugen/pages/2076.html

 

「キーン条例」によりヒーロー活動が禁止されたアメリカ合衆国、ニューヨークにおいて、
違法に自警活動を続け、ストリートで犯罪者を叩き潰している、たった一人のヒーロー。
……それがロールシャッハである。
条例制定時には、連続レイプ魔の死体に「断る!」と手紙を添えて警察署の前に放置したため、
殺人容疑をかけられて警察には追われているし、その暴力的な活動方針から一般市民にも疎まれている。
設定資料によると、この他にも正当防衛による殺人が五件、そうでない殺人がもう一件あるという。

性格は冷酷かつ独善的な右翼主義者で、基本的に他人と馴れ合う事は無い。
素顔は常に無表情で、うねうねと不気味に蠢くマスクの模様こそがロールシャッハの顔だと言える。
悲惨な子供時代から唯一小さい子供にだけは優しさを見せるが、それも相手が不良でなければの話である。

 

良くも悪くも善悪の妥協を許さない暴力的な人間であり、一般の範疇からは狂人と呼ばれるに違いない男。
その精神状態は、診察した精神科医が影響を受け、逆に狂ってしまうほどである。深淵を見つめるものは……。

 このようなキャラクターを、原作者のアランムーアはこう評しています。

 「彼をモラルの価値が地に落ちた時代を行く聖戦士と見るか、
 無差別に殺害を繰り返すサイコキラーと見るかは、読者の自由だ」 

 僕は完全に前者です。そもそもこのウォッチメンと言う作品自体が、現実にヒーローが存在したらどうなるか。を徹底的に追求した作品なので、まさしく僕の好みなのです。その中でもこのロールシャッハと言うキャラクターは、物語の狂言回しとして、非常に印象的なキャラクターです。彼は、自らが信じる「正義」のためなら、神に楯突くことも厭わないような人物です。その、絶対に妥協しない精神性こそが、僕がこのキャラクターに惚れ込んだ所以なのです。つまり、僕はヒーロー物に限らず、作品の登場人物を精神的な面で評価する傾向があります。これはあくまでも1例です。昭和特撮の主人公が好きな人を否定する意図はありません。唯、僕はそんな主人公を無条件に肯定するような絶対的な風潮には絶対にノれません。

では、前述したアランムーア氏の言葉を持って、この記事を終わらせたいと思います。

 「俺たちは実は凄い力を持っているんだが、ソファに座ってビール片手にテレビを見ているだけだ。
 スーパーパワーがあったって、やっぱりソファに座ってビール片手にテレビを見てるだけだろう。
 馬鹿がコスチュームを着たところで、変な格好のおかしな奴が1人増えるだけだ。
 ヒーローってのはスーパーパワーがあるとか、コスチュームを着てるって事じゃない。 
 自らの意志でもって世界を良くしようと戦う人々のことを言うんだ 」 

 ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。