それでも映画は廻っている

自分の映画 アニメ 特撮などへの考え方を明確にするためのブログです。

仮面ライダードライブとは、ブレードランナーの安いパロディである。

 

今回は、仮面ライダードライブと言う作品が、いかにブレードランナーというSF映画の古典にいかに影響を受けたか。もといパクったかを書いていきます。自分の周りではなぜか今まで指摘されていなかったのが驚きですが、見れば見るほどブレードランナーがいかに偉大か。及びドライブがいかに愛の無いオマージュの集積で出来ているかが見えてきます。それでは、本文をどうぞ。

 

注意 今回の記事は紹介する作品のネタバレが含まれていること以上に、仮面ライダードライブと言う作品のファンがこの記事をご覧になった場合、不愉快な感情を抱く可能性があります。回覧は自己責任でお願いします。

 

 

 なぜドライブは電気羊の夢を見るのか?

ブレードランナーに関しては、こちらの記事で書いたので、こちらを参照してください。

ですので、仮面ライダードライブという作品についての説明のみにします。

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96

西暦2014年。雨が降りしきるとある日、人類の滅亡を目論む謎の人工生命体「ロイミュード」が世界各地を襲撃した。ロイミュードの力によって周囲のあらゆるものが動きを鈍くされ、多くの人々が犠牲となった。後に周囲の動きが遅くなる現象は「重加速」や「どんより」、ロイミュード襲撃の出来事は「グローバルフリーズ」と呼ばれるようになった。その同時期、警視庁の刑事・泊進ノ介は同僚の早瀬明と共に爆破テロの犯人と交戦していたが、発生した重加速の影響で拳銃を誤射してしまい、その二次災害によって早瀬に重傷を負わせてしまう。同じ夜、巡査の詩島霧子は1体のロイミュードと遭遇して命の危機に陥るが、意志を持つミニカー「シフトカー」を使役して戦う仮面の戦士「仮面ライダープロトドライブ」に命を救われた。

それから半年後。怪奇事件担当の部署「特状課」に左遷された進ノ介は早瀬に重傷を負わせたという失態から無気力になり、サボっては同僚となった霧子によって部署に連れ戻される毎日を続けていた。そんなある日、人間が全身真っ赤になって意識を失うという殺人未遂事件が起こり、特状課は捜査に乗り出す。その捜査で進ノ介は人工知能を持ったベルト「ドライブドライバー(ベルトさん)」と、ベルトさんが使役するシフトカーに出会う。やがて人間を襲うロイミュードを発見した進ノ介は腰に着けていたベルトさんに変身を促され、シフトカーの力で戦う戦士・ドライブに変身し、ロイミュードを撃退した。その後、プロトドライブのことを知っていた霧子は進ノ介を秘密基地「ドライブピット」に案内し、ドライブのことは特状課にも漏らさないようにと告げる。やがて、プロトドライブが「仮面ライダー」と呼ばれていたことを知った進ノ介は、秘密の戦士「仮面ライダードライブ」として、ロイミュードとの戦いに身を投じる。

 まず、人工生命体が人類に反乱を起こすという基本のプロットは同じです。話の中心になる(プロット上のクリフハンガーとしての)幹部級の人数が6人と言う人数も一致しています(ただし、ブレードランナーは6人目のレプリカントは通常版では予算の都合で出演シーンをカットしたのにも関わらずポストプロダクションでセリフを修正しなかったために、矛盾が出る事態になりました。ファイナルカット版では修正されましたが、この矛盾が現在まで残るデッカードレプリカント説の発端になっています。)

それを、警察側の人間が討伐に打って出る。ということも同一(ここの主人公の設定部分の違いが個人的に一番根深い問題になっているのですが、後述します。)アンドロイドが創造主を殺す(ドライブでは逆にラスボスの位置に置いたことでブレードランナー的な命題が矮小化された物語となっている。)物語のクライマックスが雨の中でのアンドロイドのリーダー格による独白である点など、意識、無意識的にしろ、似ている部分は多岐にわたります。ですが、今回の仮面ライダードライブという作品ははっきり言って、ブレードランナーへの冒涜と言ってもいいでしょう。

まずブレードランナーの何が評価されたかと言えば、近未来の描写の凄まじさはもとより、ディストピアSFでありながらその実態はフィルムノワールであること。実物と寸分違わぬ複製品は実物と変わりないのではないのか?という非常にポストモダンなテーマ性が評価されたのです。フィルムノワールというジャンルが示す通り、主人公は体制側であるもののすでに引退状態であった殺し屋です。当然、自らの仕事に誇りなんて持っているはずはなく、自分の仕事に非常に悩む男として描写されていました。それに対して仮面ライダードライブの実態は、日本のドラマお得意の刑事ドラマ。主人公は左遷されたとはいえ、物語が進む推進力は、事件の解決と、自らの仕事の肯定からなるお気楽なもの。真の意味で体制側であり、模範的であるべき職業が主人公の物語と、ダークでシリアスなトーンで進む灰色の殺し屋の物語はそもそも非常に食い合わせが悪いものです。そんな仮面ライダードライブは、終盤になると、まさしくブレードランナーな展開になりますが、ロイミュードにも事情があり、彼らは人間と変わらないのではないかという問題提起を主人公である泊 進ノ介自身が積極的に行い、自らの論調が正しいことを証明しようとします。この点が最もダメな点で、ドライブ批判でよく上がりやすい部分ですが、仮にも警察官である主人公が、さんざん人類を手にかけてきた存在との和解を目指すという物語構造は、いささか不自然であるといえます。これが、日本の刑事ドラマとブレードランナーの食い合わせが悪いということです。ブレードランナーでは、主人公と敵が和解したという明示的な描写はなく、あくまでも、敵の行動によって主人公がその行動の先に見える本質に気付く。と言った塩梅です。さんざん殺し合いをした後に、主人公のリック・デッカードが敵のボスのロイ・バッティに命を救われます。彼らレプリカントは寿命が4年しかないため、どうにかして寿命を延ばそうとしていましたが、その願いは叶えられませんでした。ロイは「死」と言うものが間近に迫ったその瞬間、人間を助けるという「愛」に目覚めたのです。そして、雨が降りしきる中、僕がすべての映画のセリフの中で一番好きなセリフを呟くのです。

https://oriver.style/cinema/blade-runner-introduction-2/

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」
(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)

 彼が手に抱いた鳩がはばたく非常にニクい演出と共に、空は晴れ渡るのです。それに対し、ドライブでハートが雨の中独白する場面は、非常に唐突で、作り手側の自己満足が透けて見えます。こういう風に、オマージュそれ自体が目的化したオマージュほど、見ていてつまらないものはありません。オマージュをするならオマージュ元の作品のテーマ性や魂をきっちりと継承しつつ、その作品ならではの新たなテーマ性や魅力をきっちりと構築しなければ、意味など無いのです。その証拠が「GHOST IN THE SHELL」という作品の存在です。

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明らかにブレードランナー的な描写や問題意識を持っている作品なのに、最終的には、オリジナルとはまた違った、しかし非常に優れた物語構造へと着地します。オリジナルの猿真似などだれも望んでいない。その作品が真に後世に残るか否は、ほかの作品とは違う独自の魅力の要素で決まるのです。オマージュだけでは、歴史に埋もれるだけです。日本製エンターテイメントには、独自の魅力を構築するだけの発展性を、是非とも持ってほしいものです。

以上でこの文章を終わります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。