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2001年宇宙の旅の影響を考える part2 機動戦士ガンダムとの関係性

今回は、前回の記事の続きとなります。前回は、2001年宇宙の旅と言う作品を、同じく映画作品であるA.Iとインターステラーとの関連性を通じて振り返ってみました。今回は、あの「機動戦士ガンダム」との関係性について考えたいと思います。

 

注意 今回紹介する作品のネタバレが含まれている場合がありますので、回覧は自己責任でお願いします

 

 

1 1stガンダムと2001年

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まず富野監督が2001年を認識しているかについてですが、これらの記事を読んでください

http://natalie.mu/eiga/news/154322

 そしてスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を引き合いに出し、「あの映画は名作と言われているし僕もたまに観返すけども、クソ面白くない。(一般の観客は)誰が観るかあんなの(笑)。映画として、僕は傑作と思ってません」と“富野節”をさく裂させ笑いを誘う場面も。「『2001年宇宙の旅』のデザインワークとか物語論は極めてユニークだけど、ビジネスになるのかっていうと話が違ってくる。あの作品でこれだけの場所(「ガンダム展」会場)は埋められませんからね」と語る。

http://tominotoka.blog.so-net.ne.jp/2009-10-14-3

  『キネマ旬報』1999年10月上旬号・下旬号に、特集「140人の映画人が選んだ10本」が組まれております。
 2回に分けて、洋画・邦画別の特集なのですが、この140人の中に富野も入っております。

怒りの葡萄

 勝手にしやがれ

 灰とダイヤモンド

 去年マリエンバートで

 2001年宇宙の旅

 ラストエンペラー

 バベットの晩餐会

 アマデウス

 尼僧ヨアンナ

 ピアノレッスン

 と、絶賛ではないですが、決して無視しているわけではないことがわかります。これを踏まえたうえで、共通点を探していきたいと思います。

まず、前回の記事で、2001年は無重力描写が特徴的であると言いましたが、ご存じのとおり、この機動戦士ガンダムと言う作品は基本的に宇宙にキャラクターがいるときは無重力になっています。他の日本のSF、ロボットアニメでも、ここまできっちりと表現した例は少ないです。

次に、ストーリーの面。2001年のストーリーをおおざっぱに言えば、人間よりも高度に発展した精神的生命体との接触によって、人類が次なる進化のステップを踏み出す。

と言うものです。

機動戦士ガンダムは、人類がスペースコロニーへの宇宙移民を開始した世界で、スペースコロニーであったサイド3が地球連邦政府が強行した宇宙移民政策を棄民政策だとしジオン公国として独立。武力蜂起を起こし、既存の兵器とは全く異なる兵器、MSを開発。これに対し地球連邦は、戦局打開を目的に自らもMSをサイド7で開発する。ジオンによるサイド7襲撃によって、主人公であるアムロ・レイたちは、後に一年戦争と呼ばれる戦争に偶発的に巻き込まれることになります。そして、地球、宇宙を問わず、激戦地をめぐることによって、戦争という物や、極限状況におかれた人間がどうなるか。人類の革新と言うテーマが浮き彫りになっていく。 と言うものです。

ここで言いたいのは、機動戦士ガンダムという作品が、宇宙戦艦ヤマトを完全に超えたリアルSF描写及び商業主義的なビジネス性や、戦争に翻弄される人間を正面から描いて見せた。という点と同じくらい、リアルロボット物にはそぐわない概念「ニュータイプ」を通じて、2001年と同じく、人類の進化を描いたことこそが「カルト化」された要因であるということです。

主人公のアムロ・レイとライバルのシャア・アズナブルは共に、同じくニュータイプであるララァ・スンという少女に惹かれます。劇中で彼らは精神世界を通して、交信をしますが、これは、2001年でのボーマン船長が、モノリスとの対話によって、「スターチャイルド」へと進化する過程と同様です。外宇宙への進出が人類の進化であるという価値観は、60年代の米ソ間の宇宙開発競争を機に一般層へと浸透した概念であると思います。かつてはそんなことが明るい未来として肯定されてきました。しかし、環境問題の悪化や、繰り返される戦争によって、人類は暗い未来でしかリアルを感じられなくなってしまったと思います。今となっては、ガンダムというシリーズも、本当にただの商売道具になってしまいました。1stガンダムの精神性は、シリーズが続くごとに薄まって行きますが、それでも、いわゆる2001年のモチーフを入れ込んだ作品は、この後にもあります。それに軽く言及しておきます。

2 1st以後のガンダムにおける2001年イズム

まず宇宙世紀ですが、進化の果てに起きてしまった精神崩壊という結末のZはふさわしくないでしょう。ZZやF91、Vガンダムも2001年的とは言えません。逆襲のシャアは、どちらかといえば終盤の展開が2001年の続編「2010年宇宙の旅」に酷似してるので、当たらずとも遠からず。と言ったところでしょうか。この基準で言うと、2001年に近いようなことをやっているのはガンダムUCだったりします。特に、OVAで言うところのep7は、ほとんどそのまんまの描写があったりします。具体的に言えば、ネオ・ジオングユニコーンガンダムが、宇宙創成の瞬間まで時間をさかのぼるシーン。ここは完全にスターゲートのシーンを参考にしたと思われます。フル・フロンタルの魂が宇宙へと昇っていき、思念体となったララァ達に出迎えられるシーンも、精神生命体に導かれるボーマン船長のようです。ラストでバナージが人間とMSの境界線を越えた新たなる生命体へと一瞬なるのも、スターチャイルドへの進化が元でしょう。最後に人間であることへと着地する点が、違う点であると言えます。そういう点でもガンダムUCは、嫌いになれない作品です。1stガンダムをふまえた作品であることを最大限に生かしたストーリーやキャラクターは、はっきりと美点であると言えるでしょう。msのデザインも全体的に好ましく、バランスのいい作品であったと感じました。

 

次にアナザーガンダム。こちらは、宇宙世紀では表現できない事柄をテーマにしているため、必然的に2001年的な要素は少なくなるのですが、その中でも、かなり1st及び2001年の精神性に立ち返った作品であると感じているのは、機動戦士ガンダムOO及び その劇場版です。テレビシリーズも、戦争に武力介入をすることで争いを止めようとする組織 ソレスタルビーイングを通じて、逆説的に人間同士の「対話」の重要性や、新人類への覚醒が描かれていました。そして、劇場版では、「木星から」飛来した金属生命体ELSの襲来と、ELSとなんとか対話しようとする主人公の刹那と、地球を守るために戦う人類が描かれます。まず木星というモチーフからして、モノリス的な何かを思い出させるし、異星人との対話によって結実するOOと言う作品全体を貫く平和、共存のモチーフは、1968年と言う時代に、2001年が世に出たことも関係あるのではないのでしょうか。最後に刹那が異星人と同化するのは言わずもがな。やはりガンダムと2001年は切っても切れない関係にあるようです。

 

あとがき

オマージュとインスパイアは、元の作品の精神性を完全に汲み取ることが前提条件であると思っています。上っ面だけのダサいオマージュをしてる作品は数多くありますが、このガンダムという作品群は、そういった事態にならず、本当に良かったです。

以上でこの駄文を終わります。最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。