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最近見た大好きな監督たちの2つの傑作について  「ジャンゴ 繋がれざる者」 「ソーシャルネットワーク」

今回は、最近鑑賞した2つの映画「ジャンゴ 繋がれざる者」と「ソーシャルネットワーク」について書いていきたいと思います。クエンティンタランティーノと、デヴィッドフィンチャー。私の好きな2人の映画監督の作品の中でも、1,2を争う傑作であったこの2本。オールタイムベスト級の作品でした。それでは、本文に移ります。

 

 

注意 今回の記事には、ネタバレが含まれていますので、回覧は自己責任でお願いします

 

 

歴史の闇に、映画で逆襲「ジャンゴ 繋がれざる者」

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南北戦争直前のアメリカ南部。黒人奴隷のジャンゴは、移送中に、ドクター・キング・シュルツと名乗るドイツ人の歯科医の、標的の顔を知っていたために、彼に救出される。標的を始末する際に、ジャンゴの銃の才能に気付いたシュルツは、彼を正式に相棒にして、賞金稼ぎの仕事を手伝わせる。ジャンゴには生き別れの妻がいた。彼女が黒人の酷使で有名な大農園。キャンディ・ランドにいると分かった2人は、彼女を助け出すため、農園へと赴く・・・

 

我らがクエンティン・タランティーノ監督作。「レザボア・ドッグス」で注目され、「パルプ・フィクション」でパルムドールをも勝ち取った稀代の監督です。ジャンゴの前作「イングロリアスバスターズ」で行った試みを本作はさらにブラッシュアップしています。つまり、イングロリアスバスターズでは、ナチスと言うもっとも有名で、かっこいい歴史上の悪役に、ジャンゴでは、アメリカが過去に正当化していた、黒人奴隷への暴虐と言う黒歴史に、映画という表現物で引導を渡す。ということです。ジャンゴは、下敷きにしているジャンルこそ、マカロニウエスタンですが、王道西部劇ではないからこそ、描ける物語であったと思います。主人公の相棒となる、クリストフ・ヴァルツ演じるドクター・キング・シュルツ。僕は、このキャラクターが、今まで観てきた映画の中でも、最も好きなキャラクターの1人になりました。法とルールと巧みな話術によって、場を乗り切る魅力たっぷりなキャラクター 。この腐りきった世の中で、唯一ジャンゴを、「一人の対等な相棒」として扱い、自分が自由にしたからには、責任を果たそうと最後まで彼につきあいます。彼が抱えた差別への思い、それが結実する終盤のシークエンスは、拍手喝采でした。ここまで良いやつであり続けたキャラクターも、珍しいほどです。次作の「ヘイトフルエイト」とは大違いでした。タランティーノ作品に共通するルール「その場で最も力を持つのは、場を言葉で支配した者」を体現するキャラクターでもあります。パルプフィクションにおけるジュールス、ヘイトフルエイトにおけるマーク、と、サミュエル・エル・ジャクソンがやることが多い役回りです。このイズムは、作中でも、ジャンゴに継承され、彼の最大のピンチを救います。最後のシーンでは、再びシュルツの言葉が流れます「お前はこう呼ばれることになるだろう 南部一の早撃ち。と」感慨深いセリフです。そして、黒人が白人をムチ打ち、対等に口をきき、派手にぶっ殺す。このカタルシスこそ、この作品最大の魅力です。ここまでの傑作を作り続けるタランティーノ。次作以降も楽しみに待ちたいと思います。

 

世界を創造した男の、不確かな真実 「ソーシャルネットワーク

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2003年の秋、ハーバード大学2年生のマーク・ザッカ―バーグは、ボストン大学に通うエリカという恋人に口論の末フラれたことをきっかけに、女学生の顔を2人並べて比較する「Facemash」を立ち上げる。サイトは瞬く間に話題を呼び、大学のサーバーが4時間でダウンする事態となった。後日、大学の査問委員会に呼び出しを食らったマークは、半年間の保護観察処分を受け、大学中の女子学生の嫌われ者となる。そこへ、ボード部に所属する金持ちの家系の双子の兄弟。キャメロンとタイラーに声をかけられる。そこでマークは、ナンパを目的としたハーバードの学生専用のコミュニティサイト「ハーバードコネクション」の作成を依頼されるが・・・

 

鬼才デヴィッドフィンチャーが2010年に発表した作品です。彼の作品の特徴をまとめるならば、「既存の社会の概念、価値観を変容させる事柄の中心にいる主人公が、それが発展、収束していく過程で、自分の人生で真に重要なものを得たり、失ったり、再定義していく物語」であると思います。エイリアン3ならば、男だらけの囚人惑星に不時着した女性と、脱出艇に潜んだゼノモーフの出現によって、平穏が失われていく物語。セブンならば、欲望だらけの俗世間に挑戦状をたたきつけた連続殺人鬼ジョン・ドゥに対して、同じく俗世間にうんざりしていた老刑事と、若く野心あふれる刑事の二人が戦いを挑み、最終的に老刑事は「ヘミングウェイはこう書いていた。この世は素晴らしい、戦う価値がある。後の部分には賛成だ。」と、再び現実に挑む決意を固める物語。

ゲームならば、金持ちの男が弟によって巻き込まれた「ゲーム」によって、今まで生きていた社会が揺らぎ始め、最終的には一度死ぬことにって、もう一度この世を生きなおす物語。ファイトクラブならば、生きている充足感を失った「僕」が、タイラーダーデンと出会い、殴り合いクラブを創設し、真に充足感を得ようとするが、資本主義社会へのテロリズムを企てようとするタイラー=自分を殺すことで、愛を知る物語。

パニックルームならば、シングルマザーの女性が、娘との生活から一気に、資産強盗との対決へと身を置くことになる物語。ゾディアックならば、連続殺人鬼によって人生を狂わされた3人の男の、それぞれの人生の破滅、復活、決着を描いた物語。

ベンジャミンバトンならば、80歳から若返り続ける男が、時代の流れに翻弄されながらも貫いた、時間を超えたすれ違いの恋愛を描いた物語。ドラゴンタトゥーの女ならば、世間から隔絶し、一家の行方不明事件を負う編集者と男性社会に復讐しようとする女性の物語。ゴーンガールならば、「結婚」ということはいったい何なのかを観客自身の心から揺さぶる寓話的側面を持つ物語。

そして、今回のソーシャルネットワークは、エリート、金持ち、リア充といったいわゆる、「勝ち組」たちが作り出した権威の下にくすぶっている人間が、いかに友人や協力者たちを出し抜いて成功したか、しかしそれによって最も重要な何かを失ってしまった男を描いた物語です。あちこちで言われているように、この映画は事実に必ずしも忠実ではなく、話の構造も「市民ケーン」や「アビエイター」「ラリーフリント」などに似た映画です。一番事実と異なっているのは、マークの動機が、社会的ヒエラレルギーからくる劣等感から来た物ではないことです。しかし、それでも「或る成功者の孤独」と言うシェイクスピアから今まで繰り返されてきた物語は、完璧な脚本と編集によってゆるぎない魅力を放っています。前半にはあまりのクズっぷりを発揮していたマークも、後半にはすっかり感情移入してしまいました。特にラストあたりの展開は、素晴らしいとしか言いようがありません。いわゆる「ブックエンド方式」の素晴らしさを再確認できました。結局の所、エリカに囚われていたマーク。市民ケーンにおける、「バラのつぼみ」です。すべてを手に入れたはずの男の、空虚な思い。それを見事に表現したラストシーンでした。どちらの作品もブルーレイディスクを購入してよかったです。以上で、この文を終わります。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。