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アイデンティティーの揺らぎをテーマにした作品たち。「ブレードランナー」 「マトリックス」 「ファイトクラブ」そして「仮面ライダー555」

今回は、いわゆる「アイデンティティークライシス」をメインテーマに据えた作品たちを紹介していきたいと思います。個人的には、このような実存主義的な問いを描いた作品が最も好きな作品と言っていいでしょう。それでは、紹介していきます

注意 紹介する作品に関するネタバレを含む場合がありますので、回覧は自己責任でお願いします。

 

 

 

 

 

 

1 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

現実世界からは乖離しながらも、象徴性を持っている作品たちから紹介します。まず紹介するのが、「ブレードランナー」です。

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酸性雨が降り注ぐ2019年、人類の大半は地球を捨て、宇宙でレプリカントと呼ばれる人造人間に労働をさせていた。しかし、最新型であるネクサス6型のうち、6機が反乱を起こし、地球へとやってくる。レプリカント狩りを専門に行う刑事、デッカードは、今回も人間社会に溶け込もうとするレプリカントを始末するだけの仕事だと思っていたが、思わぬ事態へと発展していく…

この作品のメインテーマを要約すると、「本物に限りなく近い模造品は、本物と呼べるのだろうか」と言うことです。確かにレプリカントには感情移入ができず、寿命も4年と決められています。しかし、人間だって4年で死なないだけで、いつかは死にゆく生き物です。そして、この作品の終盤にある展開として、レプリカントが愛に目覚めるという展開があります。はっきりと、レプリカントが人類を超えてしまった瞬間です。ビジュアル的な意味でも、テーマ的な意味でも、この作品が与えた影響は大きいです。押井守版の「GHOST IN THE SHELL」は、レプリカントの視点から見た語り直しとして、フォロワー作の中でも、最大限評価している作品です。そして、この作品の原作者であるフィリップ・K・ディックの存在が、後々紹介していく映画になくてはならないと思います。彼は、麻薬中毒だったりしたためか、どの作品も、現実と別の世界の区別がつかなくなる。という作品構造を持った作品が多いです。アメリカの娯楽作の1ジャンルと化した構造です。夢の中に入り込んで記憶を植え付けようとする男たちを描いたクリストファーノーラン監督作「インセプション」もそうですが、特に次紹介する作品が、公開された時代も含め、もっとも語りやすい作品です

2 90年代という時代がもたらした傑作たち

 1990年代。それは、2度の世界大戦を終え、大恐慌もなく、アメリカの景気は安定していた時代です。ですが、安定していたからこそ、人々は生きる実感を失っていってしまったのではないかと思います。なぜなら、この項で紹介する作品は、90年代に作られた作品だからです。まずは、「マトリックス」です。

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トーマス・アンダーソンは、昼は大手プログラミング会社に勤め、夜は天才ハッカー ネオとして、コンピューター犯罪に手を染めていた。あるとき、「白ウサギについていけ」というメッセージを受け取り、謎の男モーフィアスと出会う。「この世界が仮想現実である」ということを知らされたトーマスは、現実世界に目覚めるかの選択を迫られる。覚醒したトーマスは、人類解放軍として、戦いに身を投じていく…

この作品の凄いところは、生きる実感をつかめない高度管理社会をコンピューターシュミレーションとして表現したところです。CGにばかり目が行きがちなこの作品ですが前述の「GHOST IN THE SHELL」や「不思議の国のアリス」に影響を受けた、寓話としての側面が強い作品です。やはり、99年にこの作品が世に出たことの意義が大きいと思います。そして、僕の最も敬愛する映画である「ファイト・クラブ」もこの年に公開されています。

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主人公の「僕」は、自動車会社に勤務し、全米を飛び回りながら、リコール査定を行っている平凡な会社員である。高級マンションに住み、イケアの家具を買いそろえ、物質的には何不自由ない生活を送っていた。しかし、彼は不眠症を患っていた。ある日、彼は睾丸ガンのセラピーに参加する。そこで、彼は患者達の悲痛な告白を聞くことで、初めて生きる実感を得る。マーラと言う女が参加してくるまでは。彼女も彼と同じく、自分は病を患っていなかった。再び不眠症を患った「僕」は飛行機の中で一人の男と出会う。男の名は、タイラーダーデン。石鹸を売り歩く男だった。彼に出会った後、自宅が燃え、家具もブランド服も全て失った「僕」は、タイラーに助けを求め、バーで落ち合う。そこでタイラーに「俺を力いっぱい殴ってくれ」といわれた「僕」は、彼と殴り合いをする。再び生きる実感を得た「僕」は、タイラーと共に殴り合いクラブ「ファイトクラブ」を創設するが…

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僕がなぜここまで「ファイトクラブ」を敬愛するのかと言えば、アイデンティティーの揺らぎをこれ以上なく表現している作品であるという点と、僕が映画に求める要素のすべてが最高レベルで凝縮されている作品であるからです。前者としては、お気づきのように、主人公に名前がないことと、後半のとある展開によるものです。多くの人に見てもらいたいので、あえて言いませんが、とんでもない展開です。ここまで映画の展開に驚いたのは奇しくも、アイデンティティーの崩壊がテーマの、クリストファーノーラン監督作「メメント」や、ファイトクラブと同じデヴィッドフィンチャー監督作「セブン」ぐらいです。後者については、セックス、ドラッグ、バイオレンス、娯楽性、哲学性を僕は映画に求めているのですが、ここまで映画的な面白さと、我々観客に突きつける者の凄さを併せ持つ作品はないと思います。この映画が言いたいことは、「資本主義はクソだ! モナリザでケツを拭け!」と言うことであると思います。映画と言う限りなく資本主義的な表現媒体において、資本主義を完膚なきまでに否定している映画なんて、最高以外の何物でもありません。この作品をはっきりと意識したであろう作品に、「バードマン あるいは、無知がもたらす予期せぬ奇跡」と言う作品があります。作品全体の展開や、エドワード・ノートンがキャスティングされている点など、こちらも僕の大好きな作品です。これは僕の持論ですが、生きている実感を掴めない男が主人公の映画に外れはありません。なぜならば、今の現代人は、「死んでいるように生きている」からです。つまり、21世紀を生きるすべての人々に対して、感情移入できる余地があるということです。それを、仮面ライダーというシリーズで表現した作品を最後に紹介します。

3 仮面ライダー龍騎仮面ライダー555を同時に語る理由

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さて、平成第1期のライダーの中では、この2作が圧倒的に好きです。なぜかと言えば、クウガから始まった仮面ライダーの再定義が、とうとう我々そのものにまでコミットしたと感じたからです。龍騎で語られた物語は、「人間はみなライダーである。」と言うことであり、願いを持って、今を生きている人間は、仮面ライダーになれる=悪の秘密結社に改造されるでも、運命で定められた事柄でもない、資格なんてない。と言うことを示した、非常に秀逸な物語であったと思います。純粋な願いを持った13人のバトル・ロワイヤルと言う構図は、競争主義にまみれた現代社会の比喩とも感じられます。そして、龍騎の次の555と言う順番が非常に意味があると思います。なぜならば、555における主人公「乾巧」と敵であるオルフェノク達は、夢を持たない無軌道な若者=アイデンティティーを喪失した者の象徴であるからです。前作の龍騎とは真逆の構図です。仮面ライダー=誰でも変身できる。と言う構図は変わらずにいますが、555の場合は、「名前を持たない怪物」たちが仮面ライダーと言う「名前」を得ることによって自らのアイデンティティーを再定義する。と言う物語として読み解くことが可能ではないでしょうか。日本のポップカルチャー全般に大きな影響を与えた作品だと思います。さて、まとめに入りたいと思います。

4 アイデンティティーの喪失がもたらすこと

ここまで紹介した作品たちは、どれもが同じテーマを描いています。それは、この命題がいかに普遍的で、長年議論されてきたかを物語ります。そもそも、実存主義が最初に提唱されたのは、ルネサンス以降のヨーロッパです。ルネサンスを言い換えれば、神の否定、宗教の否定、科学的なものの見方の肯定です。これ以降に発表されたのが、デカルトの「方法序説」における一節「我思う故に我有り」や、サルトルの「嘔吐」です。人がループ物を好むのも、同じ時間を繰り返すことが、現実の比喩であるからに他ならないのではないでしょうか。古典と呼ばれる作品には、それ相応の理由があります。昔の作品だからと言って、食わず嫌いするのは、非常にもったいないと思います。作品の評価には、その作品がいつ、どのような理由で作られたのかを把握する必要があります。自分に合う作品は、いつの時代の作品かもわかりません。皆さんも、いろいろな作品を見てみてください。僕のように、人生観が変わる作品に出会えるかもしれません。

以上でこの文を締めくくりたいと思います